リケベンBLOG

理系出身のベンチャー企業で働く男の雑記ブログです。投資や保険などお金に関すること、その他趣味系テーマは様々です。

この考え方でセンター国語の現代文が劇的upする。読んで損はないぞ

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受験生の最大の敵はセンター国語

配点の大きいセンター国語

大学受験をしていく上で一番厄介な敵はセンター国語

そんな受験生は5割以上いるのではないでしょうか。

5割はいるはず

特に理系の人間にとっては、センター国語は配点が大きいため非常に曲者。

 

配点が大きいというのは、

例えば物理100点満点に比べ国語は2倍の200点満点であるとかそういったことだけが問題なのではないんです。

 

問題は一問一問が8点というバランスブレイカー的なイカレタ配点になっていること。

 

しかも、国語の答え方なんて

「どっちか分かんない、こっちでいいやもう、えいっ」

といったように適当に決めることがよくあるにもかかわらずです。

絶対に得意にしなきゃいけない教科です

なぜ日本人なのに現代文ができないのか

古文漢文ならまだしも、現代文で躓いている人が大多数見られるのが現実。

 

なぜ日本人にもかかわらずこんなにも現代文ができないのか。

原因は明確です。

そもそもの『国語力が足らない』からです。

 

センター国語の点数に伸び悩んでいる者はどうもテクニックやらコツやらそういった方向にフォーカスしてしまいがちである。

 

もちろん、センター国語は独特のクセに慣れること、時間配分を練ることが最重要ポイントになることは言うまでもない。

 

しかし、そんなものは最後にやれば良いのであって本当に力を入れるべきポイントは実はそこではないんです。

 急がば回れ。国語力をアップさせよう

あなたはセンター国語の点数さえ取れてしまえばいいから、国語力なんてどうでもいいと考えていないか?

そこが落とし穴。

まさに急がば回れ。

 

センター国語の点数を伸ばしたいなら、なによりもまず自身の国語力をアップさせることに注力を注ぐこと。

 

そういったマインドに切り替えることが成功への第一歩である。

そして、その国語力アップの方法を今から伝授しましょう。

文章ってどうなってる?

「逆説の後が大事」とか実際どうでもいい

『しかし』『ところが』などの逆説の後は筆者の言いたいことがくるからここが答えになりやすいよ!

 

こんなことを言ってくる参考書や解説を今までさんざん目にしてきたのではないでしょうか。

 確かに大事なんですが、、

その解説を読んで、

「確かに逆説の後に書いてあった~。今度から逆説に注意しながら読んでいこう」

こんなことを思っているようじゃ一生国語力なんてつかない。

 

文章を読むことはなんも答えを探すことが本来の目的ではない。

「ここに書いてあるから」とかそういうポジションの問題ではないのである。

 筆者の気持ちになって考えるとは?

「筆者の気持ちになって考えよう」

これまたよく言われますね。

そんなん知らんわっ

筆者の気持ち??違います。

大事なのは

読者がより深く理解してもらえるように筆者は常に演出に全力を注いでいるということを意識することです。

 

筆者は脚本家である以上に演出家なんです。

 

筆者の演出を意識すると

「逆説の後に重要なことが書かれている」

という考え方はあまりにも浅はかであることがよくわかります。

 

そうではなく、筆者目線では

「最大のクライマックスである逆説の後のことをより深く理解してもらうためにそこまでの演出を頑張るぞ」

そういう感覚なんです。

 

全てはクライマックスを盛り立てるために文章が作られているんです。

 センター国語のコツとかルールって本当なの??

「1つのパラグラフに言いたいことは一つだ。その言いたいことを把握する訓練をしよう」

コレ、よく言われます。

これが正しいのかどうかなんて私は知りません。

そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

だって、ルールなんてないのだから

 

センター国語のコツなんかを調べると、

「センター国語はこういうルールだからこうしろ」

ということが書かれていることをよく目にします。

 

しかし、そもそもですが、、

そのルールって誰が決めたの?全部に当てはまるの?

 

そもそもルールなんてあったら本は画一的になってしまい、書き手の個性が失われてしまうんです。

 

本来筆者ってのは当然本や個人を売り出したいわけですから、

ルールに縛られずに個性的な文章を書くんです。

個性を出すため、読み手に深く伝えるために手法はいくらでも工夫しているんです。

 

そんな演出家である筆者が読者により深く理解してもらうために書いた結果、多くのルールに当てはまっただけで、ルールを守ろうとしたわけではないはずなんです。

 

ただ、どんな筆者にも共通して言えるのは、

読者に分かりやすく深く伝えるためにとにかく工夫して演出しているということ。

 

このことを意識すると、文章のイロハがいろいろと見えてくるのではないだろうか。

国語力をUPするために

アウトプットのすすめ

以前私が書いた記事の中で現代文を伸ばすにはアウトプットをすればよいと紹介しました。

 

 

アウトプットとは、何か自分で文章を書いてみることです。

 

「どんなことから始めればいいのですか」とコメントがあったのでお答えします。

なんでもいい。自分の好きなものについて。

マンガやアニメについて。なんでもいい。

 

最近だと、『進撃の巨人』なんて結構良いんじゃないかと考えています。

場面転換が多く整理するのが大変な分、相手に上手く伝えるには相当構成を練らなきゃいけない。

作品としても人間の弱さみたいなことをテーマに少し考えさせられるものもある。

なにより面白いから苦がなくできるし、、

まぁこれは一例にすぎないですが。

 

書き始めて、自分が納得できる文章を作り終えたころには2000字くらいは簡単にいってしまうのではないでしょうか。

 

それなりにクライマックスを考えながら文章を作ると一万に達する可能性も。。。

 

 まぁ字数は何だっていいです。

そこは本質ではないんで。 

なぜアウトプットをするとよいのか?

ここまで読んだあなたならもう理解できるはず。

自身が筆者になること、すなわち演出家になることで文章の成り立ちをより深く理解できるからです。

 

どうクライマックスを盛り立てるか工夫しながら文章を書く。

まずは全力で挑戦してみましょう。

 

するとアウトプットの難しさを知ります。

と、同時に文章の奥深さ、面白さに気づく。

 

それまではセンター試験の問題を解くという意味でしか見ていなかった文章が、いつの間にか立体的に映るようになってくる。

 

「そうか、今ここではクライマックスのためにふってるんだな」

「伝えるためにはこういう手法もあるのか。へぇ」

それがまさに国語力です。

 

とにかく一日くらいそういった無駄なようで無駄ではない日を作ることをオススメします。

その代わり一日だけです。丸一日。