小さな違和感を見逃してはいけない。そして常に考えて生きなくてはいけない。
小さな違和感
暇な日は本屋に行くことが多い。
本屋に行って、手に取るものは大抵、お金になる本(アフィリエイト、FX、投資)あるいはビジネスにまつわる本や成功者の考えが書かれている類の本を読む。
特に最近では、ホリエモンこと堀江貴文氏や、LINEの元社長森川氏が著者の本。それから池上彰が現代の世の中について言及した本などに目を通した。
私がそのような本につい手を伸ばしてしまう理由は、おそらく世の中に対する小さな違和感からきているだろう。
大企業ってなんだ?
働くってなんだ?
安定ってなんだ?
偉いとは?
というか生きることってけっこう難しくてしんどいことなのではないか?
そんな想いが止まらない。
逃げなのかもしれない。現実を否定して生きたいだけなのかもしれない。
そんなことは本人である私が一番理解している。
他の人に聞きたいことがある。
働くことに対してどう思っているのか?
どういうつもりでその企業に対して志望動機を述べていたのだろうか?
大事なのは何のために働くのか?会社をどうしていきたいのか?そういうことなのではないのか。
世の中に対する違和感
たまに疑問になることがある
現場で働く人が低給料でそれを指揮する人が高給料であるこの世の中について。
大変なのは絶対に現場で働く人だ。
この事実を知っているからこそ、みんな一生懸命勉強して、いい大学に入って、偉い立場になろうとする。
しかし多くの場合、現場の人の方が、キャリアがあるだけに仕事ができ、そして会社に対する貢献度が高いにもかかわらず低給となる。
絶対におかしい。
たまに疑問になることがある
一般的に働くのは週5である。つまり5/7。
大人になってからの人生は5/7働いてる時間に充てているということ。
しかし、綺麗ごとは抜きにして多くの場合その働くことに対する目的は『お金』である。
金曜日に華金を楽しみ、日曜の夕方に憂鬱になる。
これを多くの人が望んで行っている。
たまに疑問になることがある
大学って結局のところ何だったのだろうか。
学生生活を謳歌するという点では大学は楽しくてよい環境だったといえる。
だが、社会に出て、今後社会に貢献するスキルを身につける場としては非常に時間とコストに対するパフォーマンス性が低い環境だったと感じる。
もちろん自分で積極的に動いて、時間を有効活用していた人は別であるが。
率直に言うと『学歴』とはなんだったのかということだ。
学歴なんかを基準に採用する企業ってなんなんだってことだ。
採用活動を簡略化するための指標にすぎない。
そして、学歴に守られているうちは自分が何者でもないことに気づかない。
たまに疑問になることがある
どんなに有名でどんなにエリートな企業に入社したとしても、それは実は優秀ではなかったということの裏付けにしかならなかったというこではないのかと感じている。
厳しい就職活動を経て、見事エリート企業からの内定を勝ち取り、周りからもてはやされる。
それから始まるのは、比較的高い給料と引き換えに決して楽しくはない忙しい日々。
結局のところ、その人は優秀じゃないため、自分でお金を生み出すことができず、組織の下で従ってるだけなのではないのだろうか。
本当に優秀な人は能力を持ち、そして自分のスキルを活かせる会社に入る。
あるいは会社に入らなくてもお金を生み出せるため、やりたいことを仕事にする。
一番の疑問は高学歴と呼ばれる人は、本人の能力や興味と関係なく、世間的ブランドや安定性で就職先を決め、会社勤めしてしまうことである。
せっかくいい大学に入ったのに、意味がない。
価値を生み出すことに、その賢い頭脳を使うことをしない。
それは、結局「実は優秀じゃないから」である。
考えることを放棄してはいけない
これからの世の中どう考えても税金は高くなり、給料もきっと思ったよりも貰えなくなる時代になる。年金もどんどんもらえるのが遅くなってきている。
誰もが幸せなんてもうそんな世の中ではない。
平均年収なんてものは役職という席を勝ち取った優秀な人が底上げしているだけで、ほとんどの人がぶらさがり社員。
ぶら下がっている人はコストカット対象。
失うことを恐れて生きる市場価値のない人が世間に放り出されるのは一番危険なこと。
生きていくためにはどうしたらよいのか?
常に考えて考えて考えつくす作業を行わなくてはいけない。
そして、会社に対しても、商品が売れるためにはどうすれば?
果敢にアイディアを提供し続ける有能な人物になる必要があるだろう。